鳴門の大塚国際美術館、世界の名画が一気に見られるということで、行きたいと思っていました。2018年末の紅白で、ここのシスティーナ・ホールからの米津玄師の中継は本当に素敵でした(以後来場者が増えたそうです)。そして、鳴門と橋でつながっている淡路島。花とか海辺のインスタ映えするカフェとかがたくさんガイドブックには載っています。個人的には、なぜ古事記で日本で最初にできた島は淡路島なのかしら?とか色々気になっているところもありました。徳島空港から入り、車を借りて2泊3日で出発です。
鳴門海峡のうずしお
サザエさんのオープニングで、日本の名所をサザエさんが旅行するシリーズがあって、そこで鳴門うずしおがあったような気がするなー。調べたら2017年の春のことで、兵庫県市町村振興協会がスポンサーになったサザエさん活用だったようです。おお、あのシリーズはそういう企画で成り立っていたのか😅。
橋の上から見る方法もあるのですが、せっかくなので間近でと思い船に乗ります。船は徳島県の鳴門市側、兵庫県の南あわじ市側からと、両方から出ています。この日の渦は早めの時間が良さそうだったので、徳島空港に近い鳴門側の高速船と銘打つ船の乗船場に行きます(鳴門側には大型船を売りにするもう一社があるようです)。
船の運行会社のHPで、毎日の時間ごとの渦の発生見込みが出ているので、まずそちらを見て旅程をたてるのが良いです。渦ができるかな~、と海面を見ながら行くのですが、波がぶつかり合って、うまい具合に渦になるのは限られていて、追うのがなかなか難しいです。

大塚国際美術館
船の乗り場のすぐ近くでした。駐車場は美術館の建物から少し離れていて、駐車場から美術館までシャトルバスで移動です。半日くらい要るかな、とは思っていましたが、5時間も使ってしまい、古代から現代までの名画でお腹いっぱい。全部みると4km歩くそうです。3,300円の入場券には驚きましたが、2時間の映画2,000円と比べると、コスパはよいのか・・・?前売りを買っておくと3,160円なのでちょっとお得でしたね・・・。
入ってエスカレーターで最初のホールにつくと、目の前があのシスティーナ・ホールです。クリスマスツリーも出ていてきれい💕。B3Fから始まり、1Fまで展示があります。一日に何度か、テーマを変えたボランティアツアーがあるようです。近い時間に「B3F~B2Fまでの見所を1時間で」というツアーがあったので、そちらに入りました。出入り自由ですが、ガイドさんはやっぱりお話も上手なので、あっという間です。ガイドツアーのあと、美術館内で腹ごしらえして、オーディオガイドを借りて再度一人でB3Fを出発。



これらは大塚グループの陶板を作る会社(大塚オーミ陶業)による実物大の複製です。陶板は2000年後も色が変わらないそうで、アートの保存の意味もあります。「最後の晩餐」の修復前と修復後バージョンが向かい合わせに展示してあったり、特定のお題の絵や作家の絵がまとめて展示されていたり、複製ならではの利点もありますね。
陶板に原画を転写・焼成したあと、例えば絵の具を塗り重ねてあるようなものは技術者さんが筆で塗り重ねたりするそうです。名画ももちろんすごいのですが、時代も場所もセッティング(石に描いてあったり、湾曲してたり、モザイクででこぼこがあったり・・・)も異なる1000点以上を陶板(+アルファ)で再現した技術者の方(職人さんと呼ぶ方がよい?)の情熱と技術、そもそもそんなのを作っちゃおうと思った大塚グループの社長さんの発想にびっくりです。
美術館は大塚グループ創立75周年記念事業だそうで、1998年開館です。美術館のパンフレットの最後に「一握りの砂」という大塚正士氏(美術館企画時のグループ各社の社長で、初代館長)の開館にあたってのご挨拶があります。そもそも大塚グループがタイルを作ることになったのは鳴門海峡の砂に付加価値をつけるという発想で、かつ陶板を美術品に使うというのは石油ショックでビルの建設が全面停止になったところからの苦肉の策だったようです。この話「プロジェクトX」でやってもらえませんかね😊。
大塚グループって「ボンカレー」とか「オロナイン」、「オロナミンC」、「ポカリスエット」なんかの、あの会社なんですね。今更ながら・・・。ボンカレーが一番に出てしまうのは世代による?
あわじ花さじき
翌日は淡路島で行きたかったところを色々。花の見所がたくさんある島なのですが、冬は季節外。一カ所だけ花のありそうなところで、島の北の方の「県立公園あわじ花さじき」に行ってきました。11中旬~2月はストックとHPにはありました。行ってみると、ストックはまだ咲き始めで小さくて、コスモスが結構残っていました。風が強くて、今の季節、長居はできませんでしたが、花畑の向こうに大阪湾や明石海峡と思われる海が見えて気持ちの良いところです💐。


北淡震災記念公園
阪神淡路大震災の時に動いた断層のうえに建物を建てて保存した施設です。敷地の奥の方に断層の上に建っていた家も保存されていて、一階は入ることができます。この野島断層は2000年に1度くらい動いているそうです。
震災から今年で30年なんですね。あの時、朝のニュースでは状況は報道されていなくて、お昼のニュースを会社の食堂で見てみてびっくりしたという記憶があります。今みたいにSNSとかでニュースを見られる時代でもなかったし・・・。



震源は明石海峡で、淡路島のこの断層のあたり~神戸の沿岸地帯で震度7。東日本大震災では東京で震度5強、だったでしょうか。東京では建物の被害というのはほとんど無かったと思いますが、こちらは震度に加え、縦揺れが強かったせいか、高速道路やビルが根元から倒れていましたね。耐震基準は重要だけれど、やっぱりそれだけでは防ぎ切れないものがある・・・。


伊弉諾神宮
古事記や日本書紀によるとイザナギとイザナミは、天の神の命を受けて、天沼矛で世界をかき混ぜ、大八洲国(日本)を誕生させたとあるようです(「ようです」というのは一度も読んでないから😅!)。どうもこの古事記や日本書紀には色々なバージョンがあるようで、1番目が淡路島のパターンもあれば本州のパターンもあるらしい。いずれにせよ、淡路島は国生みの基地だったり1番目だったり、重要な位置ではあったようです😊。
ここ、伊弉諾神宮は国や神様を色々生みを終えたイザナギ・イザナミをお祀りする淡路国一之宮で、日本で一番古い神社とされています。イザナギの神が平たく言うと隠居した場所といういわれのようです。イザナミはというと、火の神を生んだとき死んでしまい、黄泉の国に行ってしまいました。
写真の奥に拝殿があり、さらに奥に本殿があるのですが、本殿はご祈祷などをお願いしているのでなければ入れないようでした。横から覗きましたが、屋根のあたりなどもとても格の高いお社と感じました。



うずの丘 大鳴門橋記念館
鳴門海峡を見下ろす丘のうえにある施設。「ウズネタリウム」というのがあって、うずしおの原理を学べるようなのですが、ちょうど上映が始まったところで結構待ちそうなので、疲れちゃったし断念。展示部分は子供向けでした。
旅館の朝ご飯が立派すぎてあまりお腹もすいていなかったので、ここで遅めのランチ。「オニオンリング肉巻き」をテイクアウトして、風に吹かれて食べました。売店にはUFOキャッチャーのタマネギ版があり、結構人が並んで盛り上がっていました。


淡路と徳島の不思議スポット
これは数年前、本で読んだことをきっかけに見てみたかったところ。いずれも失われた古代イスラエル民族が淡路島や徳島に流れ着いていたのではという説に関係します。えー?っていう奇抜な論なのですが、読むほどにもしかしたら?という気分になります。
淡路島のユダヤの遺跡といわれるものは洲本のホテルの敷地にあります。地元でも若い人は知らないらしい。研究がされていないので特にホテルでも案内を出していないですが、私のように時々見に来る人がいるらしく、フロントで聞くと「ああ」という感じで案内してくれました。さざれ石もあるんですよ、と見せてもらいました。


ここは鳴門のあたりからは1時間くらい内陸に入った美馬市というところ。磐境神明神社といいますが、江戸時代に発見された当時は遺跡であったようです。その後多少人の手が入っているっぽいですが、古代のユダヤ教の祭壇に似ているそうです。ほかに何もない山奥にもかかわらず、私のほかにも2名来ていました。一人はカメラを回しているようでしたので、不思議系YouTuberかもしれません。


このあたりの忌部氏が昔から天皇即位の大嘗祭に麁服(あらたえ、麻で織った布)献上してきたそうです。
うだつの町並み
美馬市には「うだつの町並み」という保存地区があります。うだつというのは一階の屋根のうえにある隣家との防火壁の役割を果たしていた装飾だそうです。「うだつがあがらない」の「うだつ」で、上がっている家が栄えている証拠。美馬は藍で栄えた土地だそうです。町並みはあるのですが、解説してくれる人がみあたらず、「ふーん」でおわってしまって残念。また、一番大きい吉田家というのがちょうど改修工事中で見ることができませんでした。


徳島県立阿波十郎兵衛屋敷
人形浄瑠璃は淡路島にもあったのですが、そちらでは行かなかったので、空港までの時間に鳴門側の芝居小屋に行ってみました。「義太夫節の浄瑠璃と太棹の三味線、3人遣いの人形の三者によって演じられる人形芝居」です。解説ビデオや、展示を見つつのこちらの施設の方による解説もあります。
30分くらいの公演です。義太夫さんの語りでお話が進むのですが、高速再生に慣れたYouTube世代にはなんともゆっくり感じられます。母子のお話でうるっときました。台詞も日英で舞台の上に表示されるので、外国の方でもお話がわかると思います。3人で一つのお人形を操るので、特に足の役の人が中腰で大変そう😓。
徳島には人形師が今も30人くらいはいて、文楽座を始め、全国の人形の修理なども徳島で請け負っているそうです。また演じている地域グループ(義太夫会や人形座というらしい)もたくさんいる模様。もともと人形遣いは淡路島で、人形を作るのが徳島、という棲み分けだったようですが、徳島では農村部でお祭りなどの時に自分たちで演じる、という風になっていったようですね。
こうした文化を支えたのは、「藍」の栽培による経済力だと言います。吉野川の氾濫により藍の栽培に向く豊かな土壌が育まれたということ。地理と歴史は密接に結びつく。やっぱり旅はブラタモリ感で終わります・・。


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