旅程
1日目:東京駅(金曜日午後発)>新幹線ひかりで米原駅>特急しらさぎで敦賀駅
2日目:敦賀駅前でレンタカー、レインボーラインを通って五湖テラス>年縞博物館>ランチ(年縞博物館や付近には食べるところが無く、やや難民化・・・)>雨がひどくなってきたので宿に戻る
3日目:敦賀ムゼウム>赤レンガ倉庫(ランチ)>気比神社>帰りは北陸新幹線
東京ー敦賀間の経路を検索すると、時間帯により東海道新幹線、北陸新幹線のどちらが早いか微妙。本数でいえば東海道新幹線の方が多いので、行きはそちらを選択。特急から琵琶湖を垣間見ることができて、関東民としては「おお!」となりました。ふるさと納税についてきた敦賀市の説明書きをみて、意外とハイカラな場所なんだなーという印象。敦賀って、原発があるイメージしかなかったので、ふるさと納税は侮りがたいと思います。
そして、年縞博物館の存在を知り、俄然行きたくなりました。しかし、北陸新幹線が延伸されたとはいえ、東京からはどう行っても遠い。そして、年末年始の比較的まとまって休みがとれる間は、博物館もがっつり休館になっている😭。なかなか行けずにおりました。福井県は恐竜博物館ツアーに続き、2度目の探検です。
三方五湖
「みかたごご」と読みます。敦賀駅前から車で30分と少し。レインボーラインという道を上り、ケーブルカーかリフトでカフェもあるこじゃれた「五湖テラス」まで上ります。山頂から日本海と五湖を見下ろすことができる景勝地です。
お天気が良ければ映えスポット的セッティングですが、この日はあいにくの雨と風で、華奢な折り畳み傘は骨が折れてしまいました(山頂で頑丈なレインボーの傘を借りることができて助かりました)。今回の旅の目的は「年縞博物館」。その年縞は「水月湖」で採取されたものであるので、まずは風雨にあおられながら水月湖を見渡し、ようやく来られたことの感慨に浸ります。

年縞博物館
ここはねー、もっと日本中、いや世界に知られても良いような奇跡です。全人類訪れる場所として強くお勧めします。


私は「人類と気候の10万年史」の本を読んで、初めて水月湖やこの「年縞(ねんこう)」という概念を知りました。本によると2016年からは教科書にも掲載されているそうです。
年縞とは1年に1枚ずつ形成される薄い地層のこと。水月湖には7万年以上の年縞堆積物があるといいます。別に放っておけば毎年堆積物ってできるでしょ?と思うでしょうが、それが「ある」ということ自体が奇跡なのです。なぜなら、普通の湖では、水が勢いよく流れ込んだり、生き物により湖底がかき回されて、きれいな年縞はできない。水月湖は奇跡的に色々な条件が重なり、何万年にも渡りひっそりと静かに堆積物を蓄えてきたというのです。もうロマンでしかないでしょう?
その堆積物の何がすごいかというと、まずはその昔の気候や噴火などの状況がわかること。堆積物に含まれる花粉などで水月湖付近が寒冷化や温暖化の時代を経てきたことがわかります。そして、火山灰から噴火の記録も。
そしてもう一つ、この堆積物のすごいところは、自然界に存在する放射性炭素量の記録となっていること。自然界の放射性炭素量は時代により不規則に変動するそうです。考古学などで使われる放射性炭素量(の減少速度をもとにした)測定は、それだけではスタート地点である自然界の炭素量にばらつきがあるため、誤差が大きくなるといいます。他の手法で正確な年代(標準時計)を定義しておいて、放射性炭素年代との換算を行うことで誤差を埋めることが必要になるのだそうです。木の年輪やグリーンランドの氷なども指標になるそうですが、水月湖の年縞は過去5万年までを対象とする換算表として世界の標準になっているというではありませんか!
隣の縄文博物館に行くと、2012年に水月湖の年縞が「世界標準時計」になったことで、年代修正がされています。720年もずれていたって、ずいぶんおおらかではないですか?

ちなみに、スマホ聞けるで音声ガイドがあります。イヤホンを持っていくとよいですね。そして、今年(2025年)の夏に、11年年ぶりに(最後の?)採掘が行われるそうです。この時期に行けばよかったな~。
掘削を記念しイベントを行います!|お知らせ|博物館からのお知らせ|福井県年縞博物館 公式HP
敦賀ムゼウム
こちらは杉原千畝の関連施設と思うと、ちょっと違う。ヨーロッパへの往来にシベリア鉄道が使われていた明治時代のころ、敦賀ーウラジオストクの定期航路が開設され、敦賀港は国際港として開かれたといいます。そのため、ロシア革命とその後の内戦によりシベリアに取り残されたポーランドの孤児、第二次世界大戦中のユダヤ人など、シベリア鉄道経由での難民を受け入れてきた歴史があるそうです。
この博物館はそういった「人道の港」としての敦賀の歴史を紹介しています。なので、杉原千畝によって発給されたいわゆる「命のビザ」の話は、この博物館の物語の一部ですね。なんとなく難民を受け入れた日本人を賛美するバイアスを感じなくもないですが、一般の住民が難民を目にしてどういう印象を持ったかという証言などは嘘がなくて良いです。
昔、妹尾河童さんの「少年H」という自伝小説を読んで、洋服の仕立て屋さんであった河童さんのお父さんがユダヤ人難民の衣服を直してあげるというシーンがあったと思います。少年Hが住んでいのは神戸なのですが、敦賀に上陸した難民は神戸や横浜に移動して、最終的にはアメリカなどに旅立っていたたそう。そこでようやく話がつながりました。
敦賀駅にある素敵な本屋さん「ちえなみき」で杉原千畝の本も一冊買って予習。

気比神宮
越前国一之宮です。「主祭神 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)は御食津大神(みけつおおかみ)とも称し食物を司り、また古くより海上交通、農漁業始め衣食住の生活全般を護り給う神として崇められている。」とのこと。
個人的には「渤海使(ぼっかいし)が相次いで日本海沿岸に来着したので神領の氣比の松原(現国定公園・日本三大松原)を渤海使停宿の処として…松原客館が建設され、これを、氣比神宮宮司が検校した。」というのが気になりますね。「松原客館」といえば、大河ドラマ「光る君へ」でまひろが周明と出会ったところではないですか。正確な場所はわかっていないそうです。京から越前に行く途中に寄ったところが敦賀だったのですね。
奉納されている絵馬には「甲子園 全国優勝」とか「全国制覇」とか書いてありました。敦賀気比の高校球児かな?甲子園で春の選抜の試合見たことあります。微笑ましいです。

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